快楽主義を否定するには

刹那的に快楽に興じることを否定するのは容易い。

快楽を得る対象を次々に変えることは、明らかにストレスをもたらすからである。


快楽を得る対象と快楽の強度を調節し、日々を楽しく過ごすことはできるだろう。

古代ギリシアエピクロス派もそんな感じだったかもしれない。

ただ、そういう生活をしていると特に能力の向上はないし、外界の変化への対応は困難になる。


外界の変化への対応が困難になるのは、単純に快楽に興じることで時間が減り、また意識が弛緩することもあるが、意識が快楽の対象に向き、他のことに向けにくくなることが一番大きい。


一生のうちに出会うであろう外界の変化や、必要とされる能力を見積もって、必要なことだけやってあとは快楽に興じるという生き方も不可能ではないだろう。

ただ「未来の状況を見積もる」ことは容易ではない。



若い時分に快楽に抗しがたいのは、感受性の強さや好奇心もあるだろうが、常に不安感に晒されていて、何かしら好ましい刺激を求めてしまうからかもしれない。