嘲笑と代替法

あるものを手に入れる方法として、洗練された方法と泥臭い方法があったとする。

洗練された方法を知ってる人間は、泥臭い方法を用いる人間を「嘲笑」する場合がある。

まぁ自分もそれを手に入れることができて、かつ泥臭い方法を用いずに済むなら、それでも構わない。


ここで重要なのは「嘲笑」は「他の方法で手に入れられる」から起きるのであって、「泥臭い方法」それ自体が自動的に嘲笑の対象になるわけではないことだ。

もちろん、他人につられて「泥臭い方法」を嘲笑する人間もいるだろう。

だが、もしその人間が「手に入れる他の方法」を知らなければ、泥臭い方法を嘲笑することでそれが実行しづらくなり、せっかく知った「手に入れる方法」を諦めるしかなくなってしまう。