手がかり刺激と必要条件

「手がかり刺激」と「必要条件」はたぶん脳内での扱いは同じようなものだと思う。

どちらも報酬(目的)に先行する。

「手がかり刺激」は基本的にその後の報酬を保証するのに対し、「必要条件」は保証しないが。

そういう意味では「十分条件」の方が手がかり刺激に近いかもしれない。

ただ人間が必要最低限のことだけやって目的を達成しようとしたら、「(必要条件と等しくない)十分条件」を敢えて満たそうとしないと思うので、結果的に「十分条件→目的達成」という事象の組み合わせを観測する機会は少なくなる。


強化学習の枠組みでは、ドーパミン系が賦活される条件として「報酬に先行する」ことのみが求められる。

そういう意味では、ある行動が目的達成の必要条件であろうがなかろうが、報酬に先行する限りドーパミン系を賦活しうるわけだ。

しかし日常的な感覚からすると、「必要条件である」ことがその行動のモチベーションを維持する上で、かなり重要である気がする。


上記のように十分条件(冗長な行動)であっても、目的の達成は可能である。

この場合も常に目的達成が付随するので、行動を強化するには十分なはずだ。

実際「十分条件」であってもある程度モチベーションは保たれると思うのだが、「無駄なことをやっているのではないか?」という不安感に苛まれることはある。

この不安感の正体は何か?