操作の重要性

例えば外部の事象に因果関係を見出す機構を考える。

この場合の「因果関係」はかならずしも統計的な根拠を必要としない。

「相関+前後関係」程度のものである。

(おそらく人間の判断の精度を考えると、その程度で十分なんだろう)


んで、A→Bという事象の生起の流れを「観測」した場合と、Aの生起に能動的に関与し、その後Bという事象の生起を観測した場合に、因果関係の認識が異なるだろうか?

直感的に後者の方が、因果関係の認識を得やすい気がする。

その理由として、Aは自分が操作して起きたのだから、AとBが別の共通の要因に基づくのではない、(すなわち単なる相関ではなく因果関係である)というものも考えられる。

あと自分の意志で現象を引き起こせるのであれば、時間と労力の許す限り何度でも実行できるので、(A→Bの流れを)観測できる回数が飛躍的に増えるという面もある。

上記以外にもう一つ重要なのは、「自分が操作」した場合には、対象への注意がほぼ確実に高まっているので、それによって一連の流れが強く脳に刻まれるということである。


まぁどの理由にしても、厳密に「因果関係」を担保するわけではないのだが、「強い相関関係」として頭に刻まれるだけで、外界の理解・操作に大きく貢献するんだろうとは。