コミュ力とか社会性の一側面について

コミュ力」にしろ「社会性」にしろいろんな要素が含まれているので、まとめて議論するのは不可能だろうけど。

一つの側面は、「他人の存在をモチベーションの維持に上手く利用できる」ことだと思う。


例えば「一緒に勉強する」のは、「分からないところを聞く」ことがなくても十分意味があって、同じ行為をする仲間がいればやる気が出るし、証人の前で「(一緒に)勉強する」と宣言することで拘束力も生まれる。

相手が代替可能(誰でもいい)である場合が多いので、この手の共同作業を嫌がる人間もいるが、そもそも他者そのものへの興味が持続することなど稀なので、その類の集団行動こそコミュニティの維持の必須要素なのではないか?

むしろこの手の集団行動に嫌悪感を覚えると、特定のコミュニティへの所属が難しくなるような。


ただ、上記のように他者と行動を共にする場合、ある程度関心が共有できていることが必要になる。

「学校の勉強」であれば共有は容易だが、それ以外の用事に他人を付き合わせるのはそこまで簡単ではないかもしれない。