「やれるだけのことをやる」ために必要な認識

どれだけやれば目的達成できるか分からない状況で「やれるだけのことをやる」という選択は割とオーソドックスだが、それを実行するにはいくつかの条件が必要となる。

まず、目的の達成がそこまで容易ではないという認識は必要だろう。

また、目的達成までの道すじというか、目的達成に寄与することが何かは分かっていないと、行動を起こす気にはならない。

さらに、一つのことに注力するためには、その目的が他のことよりはるかに優先度が高くなければならない。

思考の転換に必要なこと

例えば、何らかの行動・戦略を遂行している時に、別のものに切り換えるには、その行動・戦略だけでは不十分だという認識が必要である。

また、何か手に入らないものに執着している時、そこから離れるためには別のもので代替することが重要である。


上記の「不十分だ」や「代替物がある」という経験が、どのような形で元の行動を抑制するのだろうか?

先を見越した行動の必要な学習

単純な、未来の大報酬と、即時の小報酬を選択させる課題でも、「待てば後で大きな報酬が得られる」ことが十分学習されていなければ、前者を選択することはまずないだろう。

(人間なら推論でそれをやることも不可能ではないが)

報酬とADHD

ADHDドーパミン系の機能不全によるという話はよく聞くし、DAT阻害薬で症状が改善することもある。

意図する行動の遂行が困難な場合に、別の報酬を設定し、DAレベルを高めることで、行動を惹起するのに不十分なcueの効果を強めることも可能であろう。

ただその場合、「別の報酬」によってdistractされてしまう可能性もある。

同質性の認識とその効用

例えば、一週間後までの宿題が出たとする。

計画性のある人間は早めに片付けるだろうし、計画性のない人間は直前にやることになる。

早めに片付けるために必要なものは先見性と言えるかもしれないが、他にも必要な要素はある。


宿題を先送りする人間の言い訳として、「直前の方が捗る」とか、「今日は別の用事がある」といったものがある。

確かに、細部に着目すれば「今日」の特殊性はみつかるだろうし、それを理由に「今日は理由があるからやらないが、明日はやる」と主張することは不可能ではない。

(もちろん「明日」の特殊性も容易に見つかるので、明日もできないわけだが)